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葬儀という仕事はどちらかといえばタブー視されていたものの、昨今ではドラマや映画で取り上げられるようになりました。
先日放送していたドラマで、人形の葬儀がテーマとして扱われているシーンがありました。
人形、というよりはいわゆるラブドールですが、あらすじとしては「『息子の恋人の葬儀を依頼したい』という依頼に対し、息子は『まだ亡くなっていない』と否定。
どういうことかと伺うと、恋人とはラブドールのことで、息子が現実の女性との婚約が決まったためラブドールを葬りたい」というものでした。

一見するとコミカルな話ですが、深く考えると「生とは何か」「死とは何か」を考えさせられるような気がします。
言ってしまえば無機物でも、誰かから見れば生きているもののように感じられる存在でもあります。
それは決して特別な感覚ではなく、人が何かに想いを重ねて生きている以上、ごく自然なことなのではないでしょうか。
長い時間を共に過ごし、喜びや寂しさの中で寄り添ってくれた存在は、たとえ物であっても、ただの「物」とは言い切れなくなります。
だからこそ、その存在に対して「終わり」をきちんと用意したい、「お別れ」をしたいと願う気持ちが生まれるのだと思います。

私たちが日々向き合っている葬儀もまた、形としては人の死を扱うものではありますが、本質は「誰かにとって確かに生きていた存在」との別れに向き合う時間です。
そしてその「生きていた」という実感は、医学的な定義だけでは測れないものです。
誰かの心の中で息づき、支えとなっていたのであれば、それはその人にとって間違いなく“生きていた”存在なのだと思います。
今回のドラマのような出来事も、その一つの表れなのかもしれません。
葬儀という仕事を通して感じるのは、「命」や「存在」は一つの尺度で測れるものではないということです。
だからこそ私たちは、その方、そのご家族にとっての「意味」を大切にしながら、一つひとつのお別れに向き合っていきたいと考えています。
家族葬の結家
橋本 大輔
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